The Christus statue末日聖徒イエス・キリスト教会 検索 | フィードバック | サイト・マップ | ヘルプ | 国別サイト |
最初の画面へ Broadcast General Conference Archives
Conferences
2006年4月
教会の若者たち

教会の若者たち

ロナルド・A・ラズバンド
七十人会長会

大人になる旅路を歩む若者は,わたしたちが最善の努力を払って支援し強めるに値する人々です。

ロナルド・A・ラズバンド 愛する神権者の兄弟の皆さん,こんばんは。今晩,世界中で人類史上かつてなかったほど多くの人が主の神殿の近くに集っています。救い主の愛にあふれた優しさに包まれ,主の預言者の指示の下に,現在122の神殿で主の聖約の民が神殿の祝福を受け,亡くなった先祖のための儀式を行っています。さらに多くの神殿の建設が発表されていますし,これからも多くの発表があることでしょう。わたしたちは,この大いなる働きにおいて霊感に満ちた指導をしてくれるヒンクレー大管長に感謝しています。

モルモン書の初期の時代の教会員も,預言者であり指導者である人から指示を受けるために神殿の近くに集まりました。ベニヤミン王は晩年,勧告と訓戒を与えるため,父親たちに家族とともに集まるよう命じたのです。モーサヤ書第2章から読んでみましょう。

「さて,彼らは神殿に来ると,その周りに天幕を張った。男たちは皆,……各々の家族に応じて……場所を取った。

彼らは……天幕の中にいながらベニヤミン王の語る言葉を聞けるように,すべての者がその天幕の入り口を神殿の方へ向けていた。」(モーサヤ2:5-6)

わたしはこの光景を想像するのが好きです。 比喩(ひゆ)的な言い方ですが,兄弟の皆さん,わたしたちの家庭の扉は,こよなく愛する神殿に向いているでしょうか。これらの神聖で特別な場所の大切さを模範によって子供に教え,できるだけ頻繁に参入しているでしょうか。

モーサヤ書によれば,そこに集った家族は主の () (こと) ()を預言者から熱心に注意深く学びました。民はベニヤミン王の教えに深く感銘し,主イエス・キリストの教えに従うという新しい聖約を受け入れました。

しかし,この物語には悲しい結末があります。モーサヤ書の第26章には,ベニヤミン王が説教をしたときに天幕にいた幼い子供たちの様子が書いてあります。

「さて,当時の若者の中には,ベニヤミン王が民に語ったときにまだ幼い子供であったために,彼の言葉を理解できなかった者が大勢いた。彼らは,自分たちの先祖の言い伝えを信じなかった。」(モーサヤ26:1)

これらの若者に何が起きたのでしょうか。なぜ先祖の義にかなった言い伝えを受け入れなかったのでしょうか。さらに重要なことは,それから何世紀も経過した現在,たくさんの神殿と預言者の絶えざる導きを受けられるこの時代に,教会の若者たちはどうしているでしょうか。わたしたちは彼らに心を向ける理由があるでしょうか。確かにあります。

今晩この会場をはじめ世界中にいる若い男性と,同じく若い女性の皆さんは,特別な存在です。ヒンクレー大管長は彼らについてこのように話しました。

「これまで何度も繰り返してきたことですが,わたしはこの教会の歴史が始まって以来最も優れた世代の若者が今の世に与えられていると信じています。彼らは……正しいことを行おうと努力しています。優秀で有能であり,清らかでいきいきとしており,魅力的で 聡明(そうめい)です。……福音の何たるかを知り,福音に従った生活をし,主の導きと助けを求め,主に頼っています。」(ゴードン・B・ヒンクレー「母親としての最も大きなチャレンジ」『リアホナ』2001年1月号,112-113)

このような若人にかかわりを持つわたしたちは皆,ヒンクレー大管長の言葉が真実であることを知っています。

しかし,十二使徒定員会のヘンリー・B・アイリング長老は,若人について憂いを帯びた警告を与えています。

「彼らの多くは霊的な成熟度と信仰においてはすばらしい人々です。しかし,最も優れた人でさえも,厳しい試しを受けるでしょう。そして,試しはさらに激しくなるでしょう。」(ヘンリー・B・アイリング“We Must Raise Our Sights,”Ensign,2004年9月号,14)

「試しはさらに激しくなるでしょう」という警告に,わたしは注意を引かれました。大人になる旅路を歩む若者は,わたしたちが最善の努力を払って支援し強めるに値する人々です。

この危険な時代にあって,教会の若人はますます難しい状況に直面していますが,同時にわたしたちは,ほかの人々から学ぶことができます。軍隊では,特に海軍では,世界中どの国の海軍でも,すべての水兵は,何をしていても,船のどこにいても,直ちに支援体制に入らなければならない明快な指令の言葉を理解しています。その言葉とは,「全員持ち場につけ」です。海上での戦いの多くは,この指令への反応次第で,勝ち負けが決まります。

教会の会員として,若人の指導者として,彼らを気遣う父親,心にかける祖父として,わたしたちは皆,青少年やヤングシングルアダルトとかかわっていくときに「全員持ち場につけ」という指令に応じる必要があります。青少年を祝福する機会を逃さないようにしなければなりません。今,彼らと親しく交わっているかどうかにかかわりなくです。わたしたちは,子供たちに対する家庭での親の神聖で明確な役割を,引き続き父親と母親に教え,彼らを強めていかなければなりません。スポーツ行事や臨時の活動,家庭外での用事が,家族が家庭で一緒に過ごすことよりも重要かどうかを絶えず自問しなければなりません。

兄弟たち,今こそ,何を行うときも,どこへ行くときも,出会う末日聖徒の若人すべてを強め,養い,その生活に良い影響を与える必要性を,さらに強く自覚すべき時です。

わたしたちの家族は,思いやり深いすばらしい神権指導者のおかげでそのような経験をしました。数年前,七十人に召されたばかりのとき,イギリスのソリフルに移り,地域会長会で働くよう割り当てを受けました。ラズバンド姉妹とわたしは,下の二人の子を連れて任地に向かいました。娘はヤングシングルアダルトでした。17歳の息子はアメリカンフットボールが好きで,得意でした。妻もわたしも子供たちのことがとても心配でした。友達も 親戚(しんせき)もいませんし,アメリカンフットボールもできません。わたしは考えました。「この新しい胸躍る経験は,家族にとって難しい試練となってしまうのだろうか。」

その答えは,間もなく受けた責任を通して与えられました。イギリスのプレストンにある宣教師訓練センターで宣教師に話すよう依頼されたのです。センターのホワイト所長に電話をしたところ,ありがたいことに彼はすでに家族の状況をよく知っていて,子供たちもプレストンに連れて来てはどうですか,と提案してくれました。センターに着くとすぐ,彼は娘と息子にも宣教師に向けて話すよう勧めました。自分たちも参加していると感じ,主の業への (あかし)を分かち合えたことは,子供たちにとってすばらしい経験となりました。

話の責任を終え,宣教師に愛を込めて別れを告げてから,宣教師訓練センターの近くにある美しいイギリス・プレストン神殿を訪ねました。正面の扉近くを歩いていると,スワニー神殿長とメイトロンのスワニー姉妹に会いました。あいさつを交わし,神殿の中に招かれると夫妻はこう言いました。「ラズバンド長老,ご家族で死者のためのバプテスマをされてはいかがでしょうか。」何とすばらしいアイデアでしょうか。わたしたちは互いに目で合図すると,ありがたく引き受けました。儀式の執行を終え,息子と喜びの涙を浮かべながらフォントの中にたたずんでいたときのことです。息子はわたしの肩に手を置いてこう言いました。「父さん,どうしてぼくたちは今までこういうことをしなかったんだろう。」

わたしは,一緒に行ったフットボールの試合や映画など,ともに過ごした楽しい時間をすべて思い出しました。確かにそれらは幸せな記憶であり,家族の伝統を築くためには重要でした。

しかし,その日プレストンで経験したようなもっと意義深い,霊的な経験を子供たちと一緒に積むことだってできるのではないかと思いました。こうして,思いやりと気配りに満ちた神権指導者のおかげで,子供たちがヨーロッパで立派に生活できることを,わたしは確信できました。いつもわたしたちや皆さんの子供たちを見守り,愛してくれる多くの神権指導者と若い女性の指導者に心から感謝しています。

モルモン書のほかの時代を見ると,ニーファイは,家族の一部の者が従順,協調,忠実さの面で苦しんでいる状況の中で暮らしていました。そのような状況の中で若者への思いやりに満ちた献身の必要性をだれよりもはっきりと理解するようになりました。彼は晩年こう述べています。

「わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の (ゆる)しを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。」(2ニーファイ25:26)

神の神権を持つ者として,わたしたち一人一人が若人に,どこに罪の赦しを求めればよいかについて,すなわち主イエス・キリストについて教えるに当たり,持てる力を尽くすことができるように祈っています。若者を救うことにかかわっている各自が,最善の努力をし,「全員持ち場につけ」という呼びかけに対応できますように。確かに彼らはわたしたちが最大の努力を払うに値する人々です。

この教会が主のまことの生ける教会であり,愛し支持する預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長を通して,主によって導かれていることを証します。イエス・キリストの 御名(みな)により,アーメン。

 
© 2009 Intellectual Reserve, Inc. 版権所有   権利と使用に関する情報.  プライバシーの方針