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労働の祝福

七十人会長会
デビッド・E・ソレンセン長老
ヤングアダルト対象の教会教育システム衛星放送,2005年3月6日,ブリガム・ヤング大学

デビッド・E・ソレンセン長老今夜ともに出席してくださったすべての神権指導者とその奥様方に感謝します。特に,セシル・O・サミュエルソン長老と姉妹のご出席に感謝します。サミュエルソン長老と何年もの間神殿部で働けたことはすばらしい特権でした。ブリガム・ヤング大学の学生たちに断言します。皆さんは教授陣と同じく,サミュエルソン学長ご夫妻から受ける優れた指導によって祝福されています。

今夜,教会の若い世代である皆さんに話すことについて考えていると,その多くが学生であることに思いが至りました。愛する若い友人の皆さん,わたしたちは皆,福音を学ぶ立場にいるのではないでしょうか。

ある男性が合衆国財務省に勤めていました。彼の仕事は偽札が絡んだ事件の捜査をすることでした。この男性は自分の仕事にきわめて熟練していたので,少し見ただけで偽札か本物かを見分けることができました。大規模な偽札犯罪グループの壊滅に貢献した後,彼はある晩,記者会見に臨んでいました。一人の記者がこう尋ねました。「偽札を瞬間的に識別するには,きっとかなりの時間を使って偽札を研究しなければなりませんね。」

彼の答えはこうでした。「いいえ,偽札の研究などまったくしません。本物のお札の研究に時間を使っています。それで,偽札をすぐ見破られるようになったのです。」

兄弟姉妹の皆さん,福音も同じです。わたしたちはイエス・キリストの福音を教えるためにここにいます。偽物を研究する必要はありません。わたしたちには信仰があります。真実の教会について学び,御霊の導きを受けるなら,答えを受けるようになり,直面する様々な状況にどう対処したらよいか分かるようになります。ある若い宣教師がモルモン書についてこのように言いました。「忘れないでください。試されているのはモルモン書ではなく,わたしたちの方なのです。」それが真実であることは,長年にわたって,わたしにも示されてきました。

今晩わたしは,福音の最も基本的な原則の一つについて話します。労働についての教義です。この話が,皆さんの現在携わっている仕事と,将来携わる仕事についての指針となるように願っています。

大学や高校の卒業を控えた人や,すでに仕事に就いている人は,就職活動のときに, こんなことを考えるかもしれません。「勤務時間は長いだろうか? 福利厚生はどうかな?休暇はどれくらいあるだろう?友達と遊んだり,趣味を楽しんだりする時間が十分取れるだろうか?」しかし,そんなふうに,働く時間よりも,余暇の方を中心に考えていると,もっと大切な機会を見失うことになりかねません。

神の業

労働は永遠の原則です。

地のすべての富,いえそれ以上を手にしながらも,今なお働いている御方を御存じですか。それは天の御父です。御父は働いておられます。労働は,天においても,地においても大切であることを,天の御父とイエス・キリストは,模範と教えを通して示されました。エホバは天と地を創造するために働かれたのです。水を一か所に集め,乾いた地が現われるようにされました。太陽,月,星を造られました。海と陸のあらゆる生き物を創造されました。御父は,アダムとエバを地上に置き,地の世話をさせ,ほかの生き物を治めさせられました(創世記1:1-28参照)。

御二人の業はそれで終わったのではありません。高価な真珠にはこう書かれています。「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である」(モーセ1:39,強調付加)。それは,すべての男性,女性,子供を救う業です。天の御父は,あらゆる業の中で,永遠の存在である人の魂――皆さんとわたしの魂に恵みをもたらすことを,御自分の業とされたのです。

イエスは「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである。」(ヨハネ5:17)「わたしは,わたしをつかわされたかたのわざを……しなければならない」と言われました(ヨハネ9:4参照)。

働くことは祝福である

人にはなすべき業があります。サタンは人をそそのかし,仕事など大切じゃない,働く必要などないと思い込ませようとします。しかしそれは間違っています。働くことは必要です。人には,働いて,自分と家族の必要を満たす責任があるのです。自立という,主が教えられた伝統は,アダムとエバがエデンの園を去って以来,今なお続いています。主はアダムに言われました。「あなたは顔に汗してパンを食べ〔るであろう〕」(創世記3:19参照)。アダムとエバは,自分と子供の必要を満たすために,外に出て働きました(モーセ5:1参照)。

しかし,自立するだけが労働の目的ではありません。例えば,大金をもらったり,一瞬で経済的に自立したりしたとします。それでもなお,働くという戒めはなくなりません。主はイスラエルの民に言われました。「6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。」(出エジプト20:9)経済的に十分自立している人は例外として働かなくてよいとは言われませんでした。ニール・A・マックスウェル長老が言ったように,「労働は,たとえ経済的には必要なくとも,霊的には常に必要なのです。」(Conference Report,1998年4月,50,またはEnsign,1998年5月号,38)

労働は呪いではなく祝福です。働くことにより,神の戒めに従うだけでなく,救いという神の慈しみにあずかることができます。救い主は「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」と言われました(ヨハネ14:15)。アダムに働くよう命じられたキリストは,主を愛し,主とともにいたければ,主の戒めを守る必要があると明言されました。

回復の業が始まったころ,主は末日聖徒に,こう言われました。「ところで,主なるわたしはシオンに住む者を喜んでいない。彼らの中に怠惰な者たちがいるからである。」(教義と聖約68:31)20世紀になり,神の預言者ヒーバー・J・グラント大管長はこう言いました。「勤労が再び教会員の生活を貫く原則にならなければなりません。」(Conference Report,1936年10月,3)

人々が働かなければどのようなことになるか,考えたことがありますか。学校は立ち行くでしょうか。政府はどうなるでしょう。テレビ番組はあるでしょうか。欲しいだけのお金を手にし,働く必要がなくなればどんなにいいだろうと思うことがあっても,それは真の幸福に通じる道ではないと断言します。これまで出会った,最も惨めな人々は,何らかの理由で,長期間働くことができないでいる人々でした。

労働は家族の責任です。皆さんの中には親元を離れている人もいます。皆さんが今生活できているのは,家族が働いてくれるおかげです。皆さんの親は,皆さんが物質的にも,霊的にも,情緒的にも満たされるようにと懸命に働いています。親はその重荷をだれかに代わってもらおうなどとは思いません。しかし皆さんには少し背負ってほしいのです。

息子がハーバードビジネススクールを卒業したときに,わたしも同席しました。教会員であるキム・クラーク学部長は,ガウンをまとって最前列に座っている卒業生たちに,振り返って家族を見るようにと言いました。卒業生が振り返ると,クラーク学部長は少し間を置いてから言いました。「家族の支えがなかったとしたら,皆さんは今日この栄誉を受けていなかったでしょう。」今夜ここにいる皆さんも同じです。皆さんは多くを受けてきたのです。ですから,同じように自分の子供や家族を支え,愛することは,皆さんにとって当然の義務なのです。いつまでも「好き勝手なこと」をしていてはならないということです。親が皆さんに望んでいることは,年齢に応じて,自活し,独立することなのです。

仕事は全員で分担します。忘れないでください。幼いうちから,子供に,家事を手伝わなければならないと教えるのは大切なことです。家庭にいたときに働くことを教えてもらった人たちは,今それがとても役に立っていることを,証することができるしょう。実は,先週の木曜日に,サミュエルソン長老が父親から働くことを教わったこと,彼の奥さんがその両親から働くことを教わったことをどれほど感謝しているかを,わたしに話してくれました。

教会員は,能力があるかぎり,最善を尽くして,生活の基本となる必需品,つまり衣食住を,家族に提供しなければなりません。

家族を養うために努力していても,困難な状況に遭う人がいることを,わたしたちは知っています。例えば次のような試練に遭うことがあります。慢性的な病気,伴侶の死,年老いた親を引き取ること,子供に教育を受けさせること。天の御父はそのような状況の家族を,心にかけておられます。御父はそのような家族を強めてくださると確信しています。信じて願うなら,神は常に祝福してくださるのです。

労働は奉仕です

労働に対する心構え,習慣,技術は,仕事でよい経験をすることで身に付くものです。例を挙げましょう。わたしが育った牧場では,毎日,夜明け前に乳搾りをしなければなりませんでした。日曜でも,クリスマスでも,祭日でも同じでした。寒い日も例外ではありません。 だれかが風邪を引いても,天気がよくても,大吹雪でも,関係ありませんでした。毎朝,毎晩,同じように牛の乳を搾らなければならなかったのです。

戦争で徴兵されるまでは,乳搾りはほとんどみな,兄たちがしました。しかし1943年に,10歳のわたしは納屋の前に行くことになりました。そこには搾乳場に連れて行ってくれと言わんばかりの牛が10頭か12頭いるのです。父と母はいつも牛に「おはよう,元気かい」と声をかけていました。正直なところ,幼いわたしには,牛に対してそこまでの愛情はありませんでした。

乳を搾ると,ペール缶から38リットル入りの缶へ移します。一杯になるまで入れると36キロほどになります。幼いわたしは,腕の筋肉を振るわせながら,道沿いの,業者が集めに来る所まで運びました。

父はよく乳搾りを手伝ってくれました。母もときどき助けてくれました。わたしの記憶では,父も母も80代後半まで乳を搾り続けました。父は,乳搾りを義務とは思っていませんでした。牛の必要を満たしてあげるためにしていたのです。

それは大きな違いでした。父にとって牛は単なる家畜ではなく,ビッグブラッキーやボシーやサリーやベツィーでした。一頭一頭を満足させたかったのです。

「満足した牛は良い乳を出す」と父はよく言いました。父にとって,乳搾りは,たとえ単純な作業ではあっても,いやな仕事ではなく,大切な機会でした。父にとって,乳搾りは仕事ではなく, 奉仕でした。

成長期のわたしは,父のこの姿勢から多くを学びました。まっとうな仕事はすべて尊敬に値することが分かりました。何年か乳搾りを続けていくうちに,この骨の折れる仕事を確実にこなしていることが,自信と力になっていることに気づいたのです。自分の仕事に誇りを感じました。この仕事のことで,劣等感を感じる必要はないと思いました。エレノア・ルーズベルトが言ったように,「劣等感を抱くよう強いられる人はだれもいないのです。」(“Points to Ponder,” Reader’s Digest,1963年2月号,261)若い兄弟姉妹の皆さん,自分の態度,特に仕事に対する態度は,自分が決めるのです。自信と能力を身に付けるならば,学校でも,社会でも,職場でも,成功することでしょう。

毎日の仕事を,義務や重荷としてとらえるのではなく,絶好の機会と考えてください。わたしは乳搾りについてそう思うよう父から教わりました。その教えをずっと大切にしています。今でも,できるかぎり頻繁に牧場を訪れ,当時のことを思い出すようにしています。

考えてみてください。牛にさえやりがいを感じるのですから,だれでも自分の仕事にやりがいを感じられるはずです。

仕事を愛するようになる

人生を楽しむ最高の方法は,仕事を愛することだと言えます。わたしの妻バーラは,その良い例です。妻は10歳のときに,病気がちのバーサおばさんのために,皿洗いや,掃除を始めました。それ以来,ずっと働いています。妻の仕事は,人生の様々な時期に応じて,様々に変わりました。学生時代は優秀な成績を修め,数年間,小学1年生を教え,7人の子供を育て上げ,PTAで働き,地元の教育委員会で働き,伝道地で働き,幾度となく教会でお話しの責任を果たし,地域社会の委員として,またボランティアとして働きました。

大家族を切り盛りするなどといった,世間の目にはありふれたものに映るかもしれない仕事もしました。その一方,大学院で学ぶといった,知的な努力もしました。しかし,妻の仕事の大部分は,福音を教えるという霊的なものでした。いずれにせよ,どのような仕事にも,妻は全力を尽くしました。仕事から大きな喜びを得ていました。妻は今日,ベラおばさんのようになりたいと言いました。ベラおばさんは,90歳のときに,まだまだ働けると言っていたのです。わたしの知る最も幸福な人は,何であれ自分の仕事を楽しむ人です。

次の物語を聞いたことはありませんか。仕事への態度が大きな違いを生むことを示した話です。

「ある旅人が採石場を通りかかると,男が3人働いていました。旅人は一人ずつ何をしているのかと聞きました。三人三様の答えから,それぞれの仕事への態度が分かりました。

「石を切ってるんだよ。」最初の男が言いました。

次の男は「一日に金貨3枚稼いでるんだ」と言いました。

3人目の男は微笑んで言いました。「神の家を建てるのを手伝ってるんです。」

「ものの見方は態度で決まる」ということわざを忘れないでください。

何であれ,人は,自分の仕事に大きな目的を見いだす必要があります。まっとうな仕事はどれも,神に仕える機会です。ニーファイ人の預言者,ベニヤミン王は言いました。「あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのである」(モーサヤ2:17)。たとえ,家族の必要しか満たせない仕事であっても,神の子供たちのためになっているのです。

主は怠惰な者を喜ばれません。こう言われました。「怠惰な者は,悔い改めて自分の行いを改めないかぎり,教会の中でいるべき場所を得られないであろう。」(教義と聖約75:29)またこう命じられました。「あなたは怠惰であってはならない。怠惰な者は働く者のパンを食べてはならないし,その衣服も着てはならないからである。」(教義と聖約42:42)

教会が設立された当初から,預言者は末日聖徒に,独立し,自立し,怠惰を避けるように教えてきました。真の末日聖徒なら,自分で担うべき責任を,人に負わせるようなことはしません。若い友である皆さん,今,ここで決意してください。可能な限り,自分自身の環境の中で,生涯を通じて自立することを。

若い姉妹の多くは,現在または将来,母親となり,育児のために家庭で何年も過ごすという祝福を受けるでしょう。姉妹たちの中には,母親になることのできない人,あるいは母親であっても,常に家庭にはいられない人もいるでしょう。どのような状況であれ,若い姉妹の皆さん一人一人に,預言者の勧告に従い,できるだけ多くの教育を受けるようお勧めします。教育はそれ自体価値があります。教育は,育児のために家庭にいる人に,安心感を与えてくれるでしょう。将来,働いて糧を得ていかなければならなくなったとき,一般的に言って,教育のある方が,意義深く,報いの大きい仕事に就くことができます。

ふさわしい目的を持つ,まっとうな仕事に就かなくてはなりません。天の御父は,邪悪や怠惰な方法で利益を得ることを喜ばれません。スペンサー・W・キンボール大管長はこう言いました。「賃金や給料を受け取りながら,〔それに見合う〕時間や労力,献身,奉仕を提供しない人は,汚れたお金を受け取っていると,わたしは強く感じています。」(Conference Report,1953年10月,52)非常に強い言葉ではないでしょうか。またこうも言っています。「邪悪で怠惰な行為,たとえば,盗み,ギャンブル,宝くじ,賄賂,不法薬物の販売,貧しい人への抑圧によって得たお金は汚れています。」

キンボール大管長は正当な仕事と邪悪な仕事の違いをこう定義しています。

「清いお金とは一日正直に働いて得た報酬のことです。誠実な労働に対する正当な賃金のことです。商品,日用品,サービスの提供によって得る公正な利益のことです。皆が利益を得るような取引から得られる収入のことです。」

「汚れた……お金とは,……盗みや強盗,……ギャンブル,……罪深い行い,……賄賂,……そして……搾取によって得た〔お金〕のことです」(Conference Report,1953年10月,52)。

すぐに財産が築け,生活が楽になるとほのめかし,手っ取り早い金儲けを持ちかける人は大勢います。そのような話は至る所で耳にしています。しかしそれらは幻です。預言者は一貫して,「安易にお金が手に入る」という誘惑に乗らないよう勧告しています。健全な判断力,リスクと利益を天秤にかける力,人生をより大きな視点から理解する力を鈍らせてはなりません。

日々の仕事の中では,霊的に無感覚な人,肉の思いを抱いている人に出会います。

そのような人を避けてください。仕事を続けるために,自分の霊性を壊すような人々と付き合わなければならないとしたら,何という悲劇でしょう。「人が全世界をもうけても,自分の命を損したら,なんの得に」もなりません(マルコ8:36)。主はこう言われました。「生れながらの人は,神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また,御霊によって判断されるべきであるから,彼はそれを理解することができない。」(1コリント2:14)

当然ながら,労働,休息,くつろぎのバランスをとらなければなりません。

働かなければ,休息もくつろぎも意味がありません。「何もしないことほどつらい仕事はない」ということわざがあります。休むことは心地よく,必要ですが,それに加えて,安息日には休むようにと命じられています(出エジプト20:10参照)。安息日を守る人に,主は「地に満ちているものは,あなたがたのものとなる」と約束しておられます(教義と聖約59:16)。

御存じの方もいるでしょうが,妻とわたしは数年間アジアで暮らしました。

そこで次のような古い格言を聞きました。「大好きな仕事を選びなさい。そうすれば,一生働かなくて済む。」大体において,これは理想的な考えだと思います。

悲観論者ではありませんが,実際は,仕事というものはいつも楽しいわけではありません。トーマス・S・モンソン副管長の勧告の方が,もっと適切でしょう。

「愛する人を選び,選んだ人を愛しなさい。」(Conference Report,1988年10月,82;Ensign,1988年11月号,71)実はこの言葉は結婚について述べたものですが,職業の選択についてもよく当てはまります。愛する仕事を選び,選んだ仕事を愛しなさい。

なぜこのようなことを言うかというと,多くの人が,より良い給料,より魅力的な仕事,少なくとももう少し退屈しない仕事があるはずだと考えてばかりいるからです。困難はどのような仕事にも付き物なのに,そのような人は困難に出会ったときに,そもそも職業選択を間違えたのではないかと悩むのです。彼らの目には隣の家の芝が青く見えてきます。そしてこんなふうに言うのです。「法律じゃなくて,医学の勉強をしていたら,きっと今頃立派な医者になっていたろうに。」あるいはこうです。「わたしが彼のような管理職だったら 一生懸命働いて,人に親切に接し,成功していたことだろう。」

このような考え方から抜け出せない人は,どのような仕事でも成功することはないでしょう。仕事と地位に恋焦がれ,「小さな,簡単なことで」夢が破れると,次の地平線の彼方にある幻を追いかけて,仕事を辞めてしまうのです。次から次へと仕事を変えるために,何事も極めることができないのです。(わたしの言葉が耳に痛い人がいれば,悔い改めるようお勧めします。)

一旦仕事を決めたら,それを愛してください。欠点のない仕事などありません。

どんな仕事にも,困難や苦労はあるのです。結婚と同じように,仕事で進歩し成功するためには,長年に渡る献身とたゆまぬ努力が必要なのです。

一つの例を紹介しましょう。卓越した画家であり彫刻家であるミケランジェロの言葉から,仕事に対する彼の深い理解がうかがえます。「わたしが腕を磨くのにどれだけ苦労する必要があったかを知れば,人はわたしの才能にそれほど驚嘆しないだろう。」ミケランジェロのすばらしい作品を見たことのある人もいるでしょうが,大理石の塊からダビデ像を削り出すという文字通り骨の折れる退屈な作業について考えてみた人はどれほどいるでしょうか。しかもダビデ像は14フィート(約4メートル)もあるのです。そしてダビデ像はミケランジェロの最初の作品ではないはずです。この傑作を完成させる前に,何百,何千もの彫刻を苦心して作り上げたに違いないのです。大理石の彫刻を始めてから数年で,あまりにも大変で,退屈だということで,ミケランジェロが文筆家になろうと決意していたとしたら,大きな損失だったことでしょう。しかも,そのような心変わりをしていたら,文筆業も退屈な仕事だということに気づく羽目になったでしょう。

仕事の大変な面や,日々こなさなければならない「小さな,簡単なこと」にめげず,熱意を込めて仕事を続けるならば,もっと成功するでしょう。現在の仕事に集中し,ほかの仕事に目を向けさせようとする誘惑を無視してください。実際,どのような仕事を選ぶかは大きな問題ではないのです。わたしは皆さんに約束します。現在の仕事を続けて,自分が決めたその仕事を極めようと努力し続けるなら,大きな成功を収め,想像以上に自分の仕事を愛するようになるでしょう。

助言の言葉

もう少し助言しておきましょう。

第1に,人と仲良くしてください。問題を起こすのではなく,解決するのです。

裁くのではなく,模範を示すのです。失業の理由は,一般的に,専門知識や技術の欠如ではないことを,多くの研究が繰り返し,示しています。人と仲良くできないことが問題になるケースの方が多いのです。経験から言うと,常に全員を喜ばせることは無理でも,ほとんどいつも大多数を喜ばせることは可能です。特に,それらの人の一人が上司の場合はきっとできるでしょう。

第2に,自分の物差しでしか自分を測らないとしたら,人はめったに進歩しないことを記憶してください。経験から断言できますが,わたしが人生でも仕事でも大きな進歩を遂げたのは,賞賛よりも批判を受けたときでした。時には人の物差しで自分を測るようにしてください。上司から,「かなり短気だね」と言われたら,真剣に受け止めてください。伴侶から短気だと言われたり,友達から「君はすぐにかっとなる」と言われたりしたら,恐らくあなたには,すぐにかんしゃくを起こす傾向があるのです。そんなふうに言われたら,否定する前に耳を傾けてください。自分を評価し, 深く考えてください。変わる必要があるのではないだろうか,と。批判を受けても,人と仲良くしなければなりません。仲良くしたいと望むなら,できるはずです。

第3に,楽天家でいてください。あなた個人に向けられた悲観的な意見を受け入れてはなりません。天の御父に対する悲観的な言葉を受け入れてはなりません。その言葉の源を考えてください。サタンから出ています。教会の指導者や,教会自体に関する悲観的な意見を受け入れてはなりません。サタンのささやきを無視するには努力が要りますが,幸福になるにはそれが欠かせません。

帰還宣教師の方に一言申し上げます。伝道地で身に付けた原則や習慣,またそこで得たすばらしい経験を捨てないでください。伝道中の外見を保ってください。

中央幹部は,学校に復帰した皆さんに,ワイシャツやネクタイや落ち着いたスーツを着てほしいわけではありません。しかし,伝道中に身に付けた適切な身だしなみを維持するべきです。服装は成功への鍵です。皆さんが宣教師時代に教えていた,清さ,高潔さ,福音の原則を,日々の生活に反映させるならそれは職場にあって,皆さんの役に立つでしょう。

まとめ

今晩わたしが話したいことは次の二つにまとめることができます。

一つはデビッド・O・マッケイ大管長の言葉です。「働くことは特権であり,賜物です,働く力があることは祝福であり,労働を愛する心は成功をもたらします。」(Pathways to Happiness〔1957〕,381)

次はわたしたちの愛する,生ける預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉です。「天才が偉大な業を成し遂げているのではありません。偉大な業は,生活のバランスを維持し,熱心に努力することを身に付けた普通の人が成し遂げているのです。」(Our Fading Civility,ブリガム・ヤング大学始業および春の学位授与式での講話,1996年4月25日,15)兄弟姉妹の皆さん,途中で落胆したり自信を失くしたりすることは,普通に起こり得ます。

オーソン・F・ホイットニーはこう言っています。

「苦痛も,試練も一つとして無駄ではない。それらは人を訓練し,忍耐力,信仰,不屈の精神,謙遜さなどの特質を与えてくれるのだ。すべての苦しみ,すべての苦難は,特に辛抱強く耐え忍ぶなら,人格を築き,心を清め,心を開き,より優しく,慈愛に富ませ,神の子と呼ばれるに,なおふさわしくしてくれる。悲しみ,苦痛,試練,艱難は,人を訓練するためにある。人はそのために,この世に来たのだ。その訓練により,人はいっそう天の父母のようになるのだ。」(スペンサー・W・キンボール,Faith Precedes the Miracle〔1972年〕,98から引用)

わたしは主のつたない僕として,皆さんに約束と祝福を残します。主は聖文と預言者を通して標準を明らかにされました。学び,祈り,その標準に従って働くなら,また働いて得た中から什分の一とささげ物を納めるなら,生涯を通じ,日々の働きの中で,さらなる成功を収めることができます。より優れた働き手となれるでしょう。多くの実りをもたらせるでしょう。さらに効果的に働けるでしょう。主の御霊が皆さんにとどまり,助け,強めてくださるからです。

愛するヒンクレー大管長からの特別なメッセージをお伝えします。最近,ヒンクレー大管長は自分の所属するステークの会員にこう語りました。「わたしたちが時々心配するほど,悪い状態ではありません。……わたしはこの教会について,大いに楽観的です。この教会の若い人々については極めて楽観視しています。恐れる必要はありません。福音に従って生活するなら恐れるものは何もありません。福音の光に照らして決断するなら,そして,主の啓発と理解,指示,勇気を求めて,ひざまずき祈るなら,わたしたちは恐れる必要はないのです。」

愛する若い友の皆さん,今晩,皆さんに証を述べます。わたしはこの教会を信じています。わたしはイエス・キリストを信じています。主が言われたことを信じています。主がニーファイ人に言われた次の言葉を信じています。「わたしは天地とその中にある万物を創造した。わたしは初めから父とともにいた。」(3ニーファイ9:15)。イエスがアダムとエバを造られた御父,すなわちエロヒムの御子であられることを知っています。若い友の皆さん,わたしは御子がユダヤのベツレヘムでマリヤにお生まれになったことを知っています。マタイが述べたように御子がヘロデ王の時代に降誕されたことを知っています。イエス・キリストは言われました。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう。」(ヨハネ8:12)。イエス・キリストの次の言葉を信じています。「もし人がわたしの言葉を守るならば,その人はいつまでも死を見ることがないであろう。」(ヨハネ8:51)。御子と御父が若き預言者ジョセフ・スミスを訪れられたことを知っています。

主の業を助けるならば,イエス・キリストはわたしたち一人一人の働きを助けてくださることを知っています。「義人の名は命の書に書き記されるからである。わたしは義人に,わたしの右において受け継ぎを授ける。さて,わたしの同胞よ,あなたがたはこれに対して,何か反論することがあるであろうか。わたしはあなたがたに言う。たとえ反論したとしても,大したことはない。神の御言葉は必ず成就するからである」(アルマ5:58参照)。ゴードン・B・ヒンクレー大管長が生ける預言者であり,大管長の言葉を聞けば仕事において助けが得られるという知識と証を持っています。

若い友の皆さん,皆さんはこの教会の希望です。皆さんが住んでいる地域社会における希望です。皆さんは将来,この教会の指導者となるでしょう。地域社会の,また世界の指導者となるでしょう。天の御父とその御子イエス・キリストのために働くなら,主は皆さんを祝福し,見守り,一生を通じて皆さんを守ってくださることを,へりくだり証します。主であり,わたしたちの贖い主,救い主であり,イスラエルの聖者であられるイエス・キリストの聖なる御名によって証します。アーメン。

 
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