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悪魔のあらゆる誘惑に立ち向かう

七十人第一定員会
W・ロルフ・カー
ヤングアダルトのための教会教育システムファイヤサイド
2006年2月5日
ブリガム・ヤング大学

W・ロルフ・カーここブリガム・ヤング大学のキャンパスと世界各地に集っている皆さんは,十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老のお話を聞くために来たことでしょう。がっかりさせたくはありませんが,今回バラード長老は出席できなくなり,わたしが代理を務めることになりました。バラード長老は出席したかったでしょうし,わたしもその方がよかったのですが,今夜はわたしが代理を務められることを光栄に思っています。

ちょうど50年前のこの夜,わたしはイギリスのサウサンプトン港に向かう,大型豪華客船に乗っていました。イギリス伝道部における伝道を始めようとしていたのです。当時は,異国の地に召された宣教師は,飛行機ではなく船で任地に向かっていました。ライト兄弟(オービルとウィルバ)は,当時すでに初フライトに成功していましたが,それでも,わたしが宣教師になったのは,大昔のことだったのです。

わたしにとって,伝道は心からの喜びであったとお伝えします。若い心に大きな影響を与えてくれましたし,その後の人生で経験したすばらしい出来事の象徴となっています。伝道を通して得た最高の祝福の一つは,自分の証が強められたことです。伝道に出る前,わたしには強い証があると考えていました。けれども,神の真理について教え,証しているうちに,その証はどんどん成長し,どのような試練にあってもぐらつかない,堅固なものとなりました。福音のない生活は想像できません。伝道に出たこと,証を持っていること,救い主への信仰を通して守られていることへの感謝は,永遠になくならないでしょう。信仰は盾となり,霊的,道徳的な危険から長年わたしを守ってきました。

イエス・キリストへの信仰,誘惑への最高の防御

今晩わたしは,そのことを中心にお話します。モルモン書の中で,アルマは息子ヒラマンに勧告と教えを与えています。その中に次のような勧告があります。「罪と悪事を永遠に憎むことを〔人々〕に教えなさい。」さらにこう勧めました。「悔い改めと主イエス・キリストを信じる信仰について宣べ伝えなさい。」そして,こう言ったのです。よく聞いてください。「主イエス・キリストを信じる信仰をもって,悪魔のあらゆる誘惑に立ち向かうように教えなさい。」(アルマ37:32-33)わたしたちは,これらの勧告が持つ力と意味を感じているでしょうか。

アルマはさらに言いました。「善い行いをするのに決して疲れず,柔和で心のへりくだった者になるようにこの民に教えなさい。このような者は,その霊に安息を得るであろう。

わが子よ,忘れずに若いうちに知恵を得なさい。まことに,神の戒めを守ることを若いうちに習慣としなさい。……

あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば,主はあなたのためになる指示を与えてくださる。」(アルマ37:34-35,37)これは,年齢に関係なくわたしたち全員に当てはまる,驚くべき勧告です。

悪魔の誘惑をはねのける最も確かな盾は,キリストを信じる信仰です。それは,主の大いなる贖いの犠牲に対する信仰,イエス・キリストの福音に対する信仰と証です。信仰と証をはっきり自覚している人は,悪しき者の放つ火の矢によって心を貫き通されることはありません。単に信仰と証を持つだけでなく,はっきり自覚することが大切なのです。はっきりとした自覚をもって主を心に抱いている人は,誘惑に打ち負かされることはありません。さらに重要なことに,はっきりとした自覚をもって,救い主を心に抱き,救い主を信じている人は,誘惑に遭うような状況に身を置くようなことは決してしないのです。キリストへの信仰があるため,悪魔の領域に近寄れないのです。キリストへの信仰は,必要なときに「ヨセフの経験」を思い出させてくれます。エジプトに売られたヨセフは,パロの侍衛長ポテパロの僕となり,主人ポテパロからたいへん気に入られます。ヨセフはポテパロの妻から邪悪な誘いを受けました。しかしヨセフは,こう言ってきっぱり断りました。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって,神に罪を犯すことができましょう。」彼女はなおも言い寄りますが,聖書には,ヨセフは誘惑する者の前から「外にのがれ出た」とあります。イエス・キリストへの信仰により,悪魔の執拗な誘惑を退けたのです。(創世39:7-12参照)

世界中の子供たちは,学習の基本となる,読む能力,書く能力,そして計算する能力を,小学生のときに身につけます。これらはよく,3つのRと呼ばれます。(訳注――「読む」「書く」「計算する」は,英語でそれぞれ “reading,” “writing,” “arithmetic”と言い,どれも “R”が含まれている)どの国の言葉を話す人々も,世界中で,読み方,書き方,そして基本的な計算問題の解き方を学んでいます。わたしの信仰も,同じように3つの基本的な教義によって支えられています。それは,復活,啓示,回復の3つです。主は,この3つを理解し,世に宣べ伝えるようにと望んでおられます。この3つを通して,救い主の贖罪について学べます。この3つを通して,神が預言者によって語られることが理解できます。この3つを通して,預言者ジョセフ・スミスと福音の回復について分かります。福音の分かりやすくて尊い教義のすべてが,この3つに含有されるわけではありませんが,これらは,悪魔の執拗な誘惑を退ける力となる信仰の基本となります。復活,啓示,回復を扱った書物はたくさんありますが,今夜は簡単に説明します。今夜わたしと一緒にこのことについて考えて,悪から確実に身を守るために,この3つの教義的真理を心にしっかりと,意識的に蓄えている自分の姿を思い浮かべるようにしてください。

復活

復活の教義は,世の基が据えられたときからありました。これは,過去にも,現在にも,天の御父の幸福の計画の中核をなす教義です。主はモーセに,御自身の計画と,創造と,アダムの堕落と,贖罪について教えられました。とりわけ,主はこのようにおっしゃいました。「見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」(モーセ1:39)救い主イエス・キリストの贖いの犠牲によって堕落から贖われることは,あらかじめ計画されていたことです。アダムの堕落により,アダムとエバだけでなく全人類が,肉体の死と霊の死を味わうことになりました。地球にこれまで生まれた人と,今後生まれて来る人は皆,イエス・キリストの贖罪のおかげで復活することができるという輝かしい約束を与えられています。パウロは記しています。「しかし事実,キリストは眠っている者の初穂として,死人の中からよみがえったのである。

それは,死がひとりの人によってきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人によってこなければならない。

アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(1コリント15:20-22)

肉体の死とは,わたしたち皆が知っているように,霊が肉体から離れることです。霊の死とは,罪の結果であり,霊が神の御前から離れることを意味します。復活という救い主の賜物のおかげで,肉体の死は一時的なものとのなりました。人の不死不滅は,キリストの恵みにより,無条件で,値なしに,賜物として与えられています。不死不滅とは死なないことですが,永遠の命とは永遠に神のもとで生きるという意味です。永遠の命と霊の死からの救いもキリストがくださる賜物ですが,この賜物をいただくには,忠実さと従順を差し出さなくてはなりません。マックスウェル長老は言いました。「イエスの栄えある贖罪は人類史上最も重要な行為です。贖罪のおかげで,全人類が復活し,悔い改める人が赦しを受けるようになりました。……

キリストは,全人類の復活という比類ない賜物を,無条件でくださいました。……しかし,永遠の命という偉大な賜物を得るには,主御自身が定められた条件を満たす必要があります。」(「偉大な栄えある贖いを証する」『リアホナ』2002年4月号,8-9参照)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は言いました。「イエス・キリストの贖いには二つの意味がある。この贖いのおかげで全人類は肉体の死と墓から贖われ,復活して不死不滅となる。そして福音の律法と儀式に従うなら,人はキリストの血によって個人の罪を赦され,神の王国にあって昇栄すなわち永遠の命を受け継ぐことができる。」(『救いの教義』第1巻,ブルース・R・マッコンキー,全3巻,第1巻,119)

事故によって体が不自由になった人,生まれながらに障害を持っている人たちは,復活のすばらしい約束から,大きな慰めを得ることができます。慰めとなる,モルモン書の次の言葉を聞いてください。「さて,肉体の死と呼ばれる死がある。そして,キリストの死は将来この肉体の死の縄目を解き,すべての人がこの肉体の死からよみがえる。

霊と体は再び結合して完全な形になり,手足も関節も,ちょうど今のわたしたちのような,その本来の造りに回復される。」(アルマ11:42-43)

 そして,手足と関節はことごとくその体に回復される。まことに,髪の毛一筋さえも失われることなく,すべてのものが本来の完全な造りに回復される。」(アルマ40:23)軽い障害を持っている人々も,この聖句から喜びを得るでしょう。

「……贖罪は死者の復活をもたらし,死者の復活は人を神の御前に連れ戻す。このようにして,人は神の御前に連れ戻され……る。……

このようにして神は,世の初めから用意されていた御自分の偉大な永遠の目的を達せられる。そしてこのようにして,人の救いと贖いと,また滅びと不幸が生じるのである。」(アルマ42:23,26)

復活を通して受ける祝福についてジョセフ・フィールディング・スミス大管長はこう述べました。「復活は人を悪魔から救う。不死不滅は,神が,御子イエス・キリストの死と復活を通して,人に与えてくださる賜物である。もし救い主が世のために亡くなられなかったら,人類は今も罪のうちにとどまっていたであろう。肉体は死から復活することもなく,墓に葬られたまま贖われることもない。そして霊は永遠に悪魔とその使いに支配されていたであろう。」(『救いの教義』第2巻,261参照)

復活は人を悪魔から永遠に救うだけでなく,主の贖いの犠牲と救い主に対する信仰を持っていることをはっきり自覚するなら,日々の生活の中で悪魔から救われます。聖文にある「主イエス・キリストを信じる信仰をもって,悪魔のあらゆる誘惑に立ち向か」いなさいという勧告と,復活の教義との関係が,明らかに理解できたでしょうか。

何年か前,ある若い姉妹が,ステーク会長であったわたしに会いに来ました。幾つかの試練を受けて悩んでいた彼女はこう言いました。「カー会長,末日聖徒でいることは難しすぎます。」わたしたちは,彼女がなぜそう感じたのかを話し合いました。やがて話題は,救い主がわたしたちのために苦しまれたことへと移っていきました。主の復活が,現世と来世の生活にどんな意味があるかについて話し合いました。それから,救い主が弟子たちに期待されていることに関する主の教えを話し合いました。聖典をひもとき,弟子たちの中には主の求めを重荷に感じ,救い主に背を向けて,主のもとから離れていった人がいたことについて読みました(ヨハネ6:66参照)。彼女はしばらく静かに考えてから,目に涙を浮かべて言いました。「とてもそんなことはできません。」「救い主に背を向ける方法はいろいろあります」と言うと,彼女は頭と心ではっきり理解したようでした。彼女は言いました。「ほんとうに救い主を愛し,主を心から大切に思うなら,主の信頼を裏切れないということが分かりました。」「最初に言った言葉を言い直します。末日聖徒でないことの方が難しいのだと分かりました。」

絶えざる啓示

では次に,絶えざる啓示という教義について考えましょう。主は言われました。「さらにまた,あなたがたが欺かれないために,わたしはすべてのことに関して規範を与えよう。サタンは地の方々におり,出て行ってもろもろの国民を惑わすからである。」(教義と聖約52:14)すべてのことに関する主のパターンの中で大切なのは,生ける預言者,聖見者,啓示者たちが今日の教会を導くために神から啓示を受けていることを,確信することです。わたしたちは聖なる御霊を通して,個人の啓示と霊感を受けることができます。その種の啓示は,今話題にしていません。今話しているのは,生ける預言者から教会全体に与えられる啓示についてです。

イギリスで伝道していたころ,聖書を愛し,その教えを大切にしている人々に教える機会に恵まれました。絶えざる啓示の教義について教えたとき,多くの人が,喜びと驚きをあらわにしました。神が現代も自ら選んだ預言者に語っておられるということに対する喜びと,この神聖な原則が自分たちの教会で教えられていなかったことに対する驚きです。わたしたちは,絶えざる啓示は神聖な真理の源であり,聖文のおもな出所でもあることを教えました。聖書が唯一神の御言葉だと信じていた彼らは,新たに啓示された真理とそれを記した書物を受け入れることに,戸惑いを感じていました。しかし,この心の正直な人々は,絶えざる啓示と新しい聖文の教義が聖書に述べられているパターンと一致していることを認め,これまで完全に理解してはいなかったものの,心の奥で信じてきたものとして,受け入れました。

十二使徒定員会会員を長年務めたマーク・E・ピーターソン長老は,教会全体に対して与えられる啓示の持つ意味についてこう説明しました。「生ける預言者が神から召されて教会を導き,その時代のための啓示を神から受け,その言葉が記録されて新たな聖文となること。それこそ,真の教会の確かなしるしです。

そのような預言者たちの務めを通して,新たな聖文が生まれること。それこそ,真の教会の確かなしるしです。神はこのパターンを常に守っておられ,時の初めから,神はこの方法で民を導いて来られました。」(「まだ見ていない事実を確認すること」『聖徒の道』1978年10月号,98)ピーターソン長老が絶えざる啓示のメッセージを深く理解しておられたことを感じます。

神は,御自身の御心を,御自身が選ばれた預言者,聖見者,啓示者に示されます。神は預言者に「あなたが受けたことを民にも教えなさい」とささやかれます。すると民は,啓示によって示された神聖な知識を受けるのです。啓示された真理は記録されます。そして主の無限の知恵に従い,時が来たときに,その啓示は聖典に正式に加えられます。

絶えざる啓示の教義と,啓示によってもたらされる聖文は,回復の業の大きな特徴です。それはまさに,回復が実際に起きたことを雄弁に物語ります。旧約聖書のアモスは言いました。「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは,何事をもなされない。」(アモス3:7)

イエス・キリストの福音が回復されたのは,天から多くの啓示が与えられた結果なのです。この啓示を受けた末日の預言者は,聖なる目的のために選ばれ,備えられ,聖任されていました。ジョセフ・スミスがその預言者であることを,教会は全世界に伝えています。神が今再び語っておられ,その隠れたことを預言者に明らかにしておられることを,教会は証しているのです。

啓示という真理に対する証は,大きな慰めとなり,定期的に預言者の声を聞いたり読んだりできるという,尽きせぬ平安の源となります。

わたしの伝道中の印象深い経験の一つは,啓示の教義に関する個人的な出来事です。教えるための備えとして毎日聖文を調べていたときに,古代と現代を問わず,主が啓示を与えてくださるということの不思議さに胸を打たれました。わたしは,疑い深い方ではないのですが,研究と信仰によって得た知識について,聖文と論理から検証することが好きです。あるとき,聖文研究の時間の大部分を使って,自分で立てた一つの論理的前提を検証してみました。このような前提です。「末日聖徒イエス・キリスト教会が絶えざる啓示について主張していることが正当なものであるとすれば,預言者ジョセフ・スミスが啓示を受けた方法と,旧約と新約の預言者や使徒が啓示を受けた方法は,一致していなければならない。」さて,前提は理解できましたか。わたしはこの前提が矛盾しないことを知る必要がありました。――現代にも啓示があること,そして,この時代に啓示がもたらされた方法は,古代の方法と一致していること,です。

この前提を検証する中で学んだことをすべてお話しする時間はありません。しかし,主のパターンがはっきりと分かってきたということは申し上げておきます。預言者たちは,非常に一貫した方法で啓示を受けていました。その方法は様々な言葉で表わされ,様々に分類できるでしょうが,非常にはっきりとしたパターンがあります。神の預言者が啓示を受けるために常に用いられてきた方法として,非常に明確なものを5つ特定しました。聖典全体にわたって,この5種類の方法に該当する例が豊富に記録されています。このパターンは古代と現代を問わず,すべての聖典に一貫して記されています。また別の機会に,啓示がもたらされる5種類の方法について,またその方法が古代と現代において一貫していることについてお話しできるでしょう。

この輝かしい真理を知ったことで,当時のわたしの信仰とは強められました。そして,今日でさえ,わたしの信仰を強めてくれています。現在,預言者が生きていて,アブラハム,モーセ,イザヤ,ペテロ,パウロなどの預言者と同じように神から啓示を受けているという知識は,慰めと確信の大いなる源です。

この神聖な原則に関する知識と証は,自分自身で得なければなりません。けれども今わたしがお伝えした証は,信頼に足る,非常に確かものです。神は昔と同様に,今も御自分の選んだ生ける預言者に語っておられるということを,皆さんは今ここで,確信をもってはっきりと自覚することができます。絶えざる啓示の教義に対する証を得れば,主イエス・キリストに対する信仰が強められ,悪魔のあらゆる誘惑をはねのける決意をいっそう強めることができるのです。

もし,大きな誘惑に出遭ったら,ゴードン・B・ヒンクレー大管長を思い出してください。大管長が教会のために主から直接啓示を受ける預言者,聖見者,啓示者であることを思い出すのです。ヒンクレー大管長が世界中に小規模神殿を建設することについて啓示を受けたことを思い出してください。かつてないほど大勢の教会員が,神殿の聖なる祝福を受けられるようになりました。誘惑をはねのけ,神殿の聖なる祝福を受けるふさわしさを維持するために,生ける預言者が今,聖なる神殿について啓示を受けていることをはっきり自覚して思い出してください。わたしたちは,まさしく「神がこれまでに啓示されたすべてのこと,神が今啓示されるすべてのことを信じる。またわたしたちは,神がこの後も,神の王国に関する多くの偉大で重要なことを啓示されると信じる」のです(信仰箇条1:9)。

福音の回復

復活と啓示について話しましたが,皆さんは深く思い巡らすことができたでしょうか。では,回復について話しましょう。わたしたちが今ここに集まっているのは,回復が起こったからです。復活と回復に関する基本的な知識は,古代の聖文に記されていますが,これらの重要な教義についてわたしたちが知っているほとんどのことは,預言者ジョセフ・スミスを通して福音が回復されたことによるのです。回復のメッセージはこうです。――神は生きておられます。イエスは生けるキリストです。福音は完全に回復されました。ジョセフ・スミスはまことに,この時代の神の預言者です。ゴードン・B・ヒンクレーは生ける預言者です。モルモン書は神の御言葉であり,聖書とともに,主の手の中で,今も永遠にも存在し続けます。

回復が必要だったのは,真理が失われていたからです。救い主が地上での務めを終えられると,数年のうちに真理が失われました。大背教とも呼ばれるこの真理の喪失は,旧約・新約両時代の預言者たちに前もって示されていました。主は御自身の教会をまったく純粋なままに設立し,聖なる神権を弟子たちに授けられました。神権が失われ,背教に至った原因を今詳しく述べるつもりはありません。宗教の歴史を一見するだけで,その事実を確認することができます。旧約の預言者アモスはこの真理の喪失についてこう預言しました。「主なる神は言われる,『見よ,わたしがききんをこの国に送る日が来る,それはパンのききんではない,水にかわくのでもない,主の言葉を聞くことのききんである。

彼らは海から海へさまよい歩き,主の言葉を求めて,こなたかなたへはせまわる,しかしこれを得ないであろう。』」(アモス8:11,12)

救い主が天に昇られた後,それほど時を経ずして,ペテロは回復を予見ました。ペテロは言いました。「だから,自分の罪をぬぐい去っていただくために,悔い改めて本心に立ちかえりなさい。それは,主のみ前から慰めの時がきて,

あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを,神がつかわして下さるためである。

このイエスは,神が聖なる預言者たちの口をとおして,昔から預言しておられた万物更新の時まで,天にとどめておかれねばならなかった。」(使徒3:19-21)

救い主の再臨について使徒パウロはこう記しました。「だれがどんな事をしても,それにだまされてはならない。まず背教のことが起……るにちがいない。」(2テサロニケ2:3)再臨の前には背教と回復の両方が起こるということが知られていました。

これらの預言と,ここで引用しなかった多くの預言がまことに成就して,わたしたちは今,主の手から注がれる大いなる祝福にあずかっています。ヒンクレー大管長は言いました。「今はまさに,更新の時代です。聖書の中で使徒ペテロにより,またパウロにより簡潔に力強く語られた回復の時代です。繰り返しますが,皆さんやわたしは,成就した預言の一部であり,天におられる神の神聖な計画の一部です。まず背教が起こり,そして回復がなければならないのです。」(「霊感を伝える言葉」『リアホナ』2004年6月号,4)

古代の預言者たちが預言した万物の回復は,まさに起こりました。そのために,父なる神,救い主イエス・キリストを始めとして,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,バプテスマのヨハネ,モーセ,エリヤ,モロナイ,そのほかの古代の預言者たちが天から降って来て働かれました。ジョセフ・スミスは,この時満ちる神権時代に,神の手に使われる道具となって福音を回復するという,聖なる務めを果たすように予任されていました。救い主御自身がこの事実について証しておられます。主は言われました。「主なるわたしは,地に住む者に下る災いを知っているので,わたしの僕ジョセフ・スミス・ジュニアを訪れ,彼に天から語り,戒めを与えた。……

……預言者たちによって書き記されたことが成就するためである。……

信仰もまた地に増すため,

わたしの永遠の聖約が確立されるため,

わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者によって世界の果てまで,また王や統治者の前に宣べられるためである。」(教義と聖約1:17-23)

これ以上の言葉が必要でしょうか。これは,預言者ジョセフ・スミスについての救い主御自身の証です。主はジョセフに天から語られ,戒めを与えられたのです。皆さんは「信仰もまた地に増すため」という言葉に気がつきましたか。回復は,悪魔のもくろみをはねのけようとするわたしたちの信仰を守ってくれる盾なのです。皆さんが,はっきりと自覚して,これらの真理を絶えず心に抱き続けられますように,祈っています。わたしは,ベニヤミン王のように皆さんにお願いします。「したがって,あなたがたは確固として揺らぐことなく,いつも多くの善い行いをして,全能者である主なる神,キリストから御自分のものとして印を押されるように,また天に招き入れられて,永遠の救いと永遠の命にあずかるようにしてほしい。この永遠の救いと永遠の命は,天地の万物を創造された……神の知恵と力,公正,憐れみによって与えられるものである。」(モーサヤ5:15)

結び

ヒンクレー大管長の言葉を引用してこの話を終えます。「これは神の神聖な業です。その起源も教義も天与のものです。イエス・キリスト〔復活された主,救い主〕が頭として立っておられます。主はわたしたちの永遠の救い主であり,贖い主であられます。主の啓示がわたしたちの教義,信仰,教えの源であり,実にわたしたちの生き方の根底にある模範となっています。ジョセフ・スミスは回復をもたらすことによって,全能者の御手に使われる者となりました。そして,その啓示の基本的要素はジョセフの時代と同様に今日の教会にもあるのです。

これらの真理に対する,わたしたちの個人的な証は,信仰の基となっています。わたしたちはその証をはぐくみ,養わなければなりません。決して捨て去ったり,無視したりしてはなりません。証がなければわたしたちには何もないのです。証があれば,すべてを持っていることになります。」(「しばしの別れ」『リアホナ』2001年7月号,103)

救い主が神の御子であることを証します。救い主は生きておられます。復活が確かに起きたこと,啓示が確かに存在すること,回復が確かに起きたこと,これらが主イエス・キリストに対する皆さんの信仰を増し,悪魔の執拗な誘惑をはねのけられるよう助けてくれることを証します。わたしの愛と証が皆さんを祝福しますように,イエス・キリストの御名により,アーメン。

 
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